社長(増田)がジャンルにとらわれず不定期に更新していきます

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インド視察ツアーに参加

2010年4月


 3月12日から1週間、日本食品機械工業会主催の 「インド国際食品展示会・食品等製造業視察ミッション」 に参加した。BRIC'Sと言われる4カ国が目覚ましい 経済成長を遂げているが、そのインドの実情を自分の目で確認したいと思っての参加だ。

  成田を飛び立つこと10時間、首都のデリー国際空港に到着。建物は古く、なんとなく暗い雰囲気だ。
日本との時差は3.5時間、気温は35~40℃、真夏だ。
通貨はルピー、1ルピーは約2円。空港からホテルまでの町並みの第一印象は、ゴミゴミしていて埃っぽく汚い。
ホテルに到着したのは21時(日本時間午前0時半)
・・・小腹が空いた我々に用意されていた軽食は超大盛のサンドイッチ、味は日本人好みでとても美味だったが これが軽食???と皆唖然・・・インドの人は皆大食漢なのか?!


 二日目、「Aahar International Food Fair」を視察。展示会場の規模はビッグサイトの2/3くらいだろうか・・・とにかく大小合わせて15会場ほどあったのはビックリ。小さいものは20坪程度のテント張りの会場もあった。
「インド食品レポート2008」によれば、インドの食品部門 の小売業は2008 年の約700億米ドル(約6兆円) から、 2025 年には1500億米ドル (約14 兆円) に増加するといわれている。11億の民を有する有望市場だ。

  インドでは従来菜食中心であった。ヒンドゥー教徒であれば、どこで誰が調理したかわからない食事を口にすることはタブーであったが、急速な経済成長と経済自由化の進展に伴いファーストフードやレストラン業界が成長を始めている。
最近ではピザのデリバリー店まで出現している。洋食化は雪崩を打って浸透すると思われる。それ故に食品メーカーの出店が多いものうなずける。しかし反面、食品加工機械は意外に少なかった。
"インド製もまずまずのできだな!"と思って見た機械も、よくよく見るとほとんどが台湾製だった。台湾メーカーがかなりアクティブだ。その他の外国勢はヨーロッパブランドが数社確認された程度で、残念ながら日本メーカーの出展はなかった。そういう意味では参入するなら今がチャンスかもしれない。


 三日目、デリーを7時半に出発し、バスで一路アグラを目指した。片道200Km、5時間のロングドライブ、国道をひたすら南下する途中急に渋滞があった。何事かと思いきや、なんと一頭の牛が国道で寝ていた。牛は神聖な動物ゆえ誰も文句も言わずだまって脇を通り抜ける。日本ではお目にかかれない微笑ましい?光景だ。


飴菓子を作る職人

 アグラに近づいた頃、近郊のバザール(市場)に立ち寄った。狭い道の両側にたくさんの店が所狭しと並ぶ。床屋、菓子屋、パン屋、洋服屋、売春宿・・あらゆる店がある。そして・・・驚いたことに、人の流れの中に犬はもとより、牛、豚、山羊、猿などの動物たちが繋がれているわけでもなく自由に闊歩しているのだ。人と動物が入り交じる道をバイクや車、3輪のタクシー自転車がけたたましくクラクションを鳴らしながら通り過ぎる。インド人特有の眼光鋭い眼差しが我々外国人に強く注がれると少々不気味だ。
埃と何ともいえない臭気で息をするのも辛くなる。信仰心の強い人たちなのに、生活空間をなぜ掃除しないのか?いたるところがゴミだらけで、衛生的にも危険極まりない。そんな場所で食品を作っている姿を見た後、誰一人食べ物を土産として買わなくなった。食品衛生という言葉は存在しない。おそらくここで生活できる日本人はいないだろう。
やっとの思いでバスに戻り、本日のメインイベントであるタージマハル見学に向かった。

  世界遺産であるタージマハル・・・寺院だとばかり思っていたが、実は350年前当時の第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった王妃のために22年の歳月と国家財政を揺るがすほどの莫大な資金をつぎ込んで建設された「墓」だった。100メートル角×全高60メートルのドームを持つこの墓は、総大理石作りで、優美で、気品高く、言いようのない美しさだ。しかしこの美談には続きがあるという。皇帝は晩年タージマハールの向かいに黒大理石の宮殿を建てようとしていたらしいが、その矢先に第3皇子によって幽閉されたという。理由は建築費の莫大な浪費に他ならず、結局皇帝は幽閉された塔の中から7年間タージマハールを眺めながらその生涯を閉じたらしい、運命とは実に皮肉で残酷だ。

 四日目、ハリアナ州にあるスズキ自動車に部品を供給している従業員400名の部品メーカーの工場見学。プレス加工したプレート同士をスポット溶接するのはロボットではなく人。溶接技術を疑うような作業風景を見て不安になったが、案の定溶接の位置はバラバラ。時には同じ場所をダブって溶接。これで強度は大丈夫なのか???と大いに不安になった。溶接ロボはコストアップになるため使えな・・・お国事情の違いだ。

 最終日はデリー市内の食品工場を見学した。アーモンドやビスタチオを生産している会社だが、必要最小限の設備はかなりの年代物だ。当社はパックしたドライフルーツを販売したインドで最初の会社のようだが、その割に生産量は多くなさそうだ。将来に向けて自動化も検討したいので、日本の展示会を視察する計画もあるとのこと。
自動車のパーツ工場もそうだったように、機械を導入するよりは労働コストが安いので、人海戦術で生産した方が儲かるのだろう。

 最後に・・・今回のインド視察ツアーでわかったことを幾つか記して締めくくる。
 国民の80%を占めるヒンドゥー教徒にとって牛はシウァ神の使いであるとともに、特に牝牛は人々に乳をもたらす神聖で清浄な動物だ。しかるに牛を殺すこと自体、人間が犯すもっとも重い罪にあたるのは当然で、食べるはずもない。豚肉もヒンドゥー教徒やイスラム教徒の戒律で食べることは禁じられている。ただ豚がタブー視される理由は、牛の場合とは真逆で、豚は排泄物をも食べる穢れた動物であるがゆえだということだ。田舎では人間たちの朝食を作る前に牛に捧げる朝食を作り、玄関前に置く習慣があるそうだ。それを知っている牛はフラフラとあちこちの家を訪ね胃袋を満たす。国道の真ん中で寝ていても何も言われず、食にも困らないインドの牛は世界一幸せものだ。

  また、今回のツアーではガンジス河を見なかったので、本当の意味でインドを見たことにならないと思うが、現地のガイドさんが教えてくれた内容を以下に記す。
NHKの番組でも放送されていたが、亡くなった人の遺体は川岸で火葬され遺骨は川に流す。(但し、子供の場合は火葬せず、遺体に重石を巻き付けて河の深みに沈めるという。)沐浴場では男性はほとんど裸に近い状態、女性は着衣のまま沐浴する。石けんで身体を洗う人もいる。また、ガンジス河の水を飲んで身体を内側から清めるらしい。ガイドさんは「ガンジスの水は不思議なことに1年経っても飲める」と力説していたが、免疫のない日本人が飲んだら大変なことになるのは必至。ガンジスで沐浴し、灰になった後は河に流される・・・これは"輪廻の解脱"が得られる、要するに天国に行けるということらしい。いうならば、ガンジスは人々の生きる希望でもあり、また、死後の希望であるらしい。一度は行きたかったインド、しかし二度行きたいかと聞かれると答えに詰まる。もしインドに商圏を広げるならインドの死生観や哲学的なことも含めた文化や習慣をもっともっと勉強し、理解度を上げる必要を感じる。
夜8時のJALに乗り、翌日の午前7時に成田着・・・日本の気温はなんと6℃、気温差35℃・・・不覚にも風邪をひいてしまった。