大砲を鋳造したルーツが増幸産業株式会社にあります。現在も我が社は不可能に挑戦し続けます

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大砲の歴史

18ポンドカノン砲

18ポンドカノン砲

この大砲は幕末の嘉永5年 (1852年)に津軽藩(現、青森県)の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(当社代表の増田家初代)と、後の砲術奉行となった高島秋帆とが協力して、当時不可能とされていた大型砲の鋳造を可能にした。嘉永5年から安政5年までに213門の大砲と41323発の砲弾が作られ全国各地に供給された。鍋、釜などの日用品鋳物から大砲の鋳造へ乗り出すことは想像に余りある大冒険だったに違いないが、当時のチャレンジ精神は現在も粉砕機の開発に受け継がれている。


全長:3.5メートル
重量:2.5トン
口径:15センチ
射程距離:2500m
18ポンドカノン砲
18ポンドカノン砲