江戸時代の終わり頃 、日本の近海にはロシヤ、イギリス、フランス、アメリカ等の 外国船が来航し、鎖国していた日本にたいし開国を強くせまった。幕府首脳や武士達は、諸外国が日本の領土をおかす野心ありと思った。外国の脅威を感じた幕府は文政八年(1825)、外国船打払令を出した。弘化元年(1844)、函館、国後、江戸の台場を始め、各所に砲台を据え、守護兵を置き、異国船の近海への出没を警戒するようになった。
しかし、 当時はまだ、 大砲もろくにない状態で、打払い等ができる力はなかったようである。 その頃 、穣夷思想の盛んな水戸、薩摩、長州、肥前、土佐の各藩では、海防のための大砲製作に必死の努力がなされた。